6月5日の夜のテレビニュースで唐招提寺御影堂の御開帳シーンを見ました。
私は長い間、唐招提寺の事を気にかけていたのにいつしか忘れていました。
中国、長安・洛陽に並ぶ者のない律匠と称された「鑑真」は日本の熱心な招きに応じ渡日を決心されましたが、当時の航海は非常に難しく、鑑真和上は五度の渡日に失敗し盲目の身になられました。それでも和上の意志は固く753年12月、六度目の航海でついに来朝を果たされました。これは日本史の授業を受けた時から鑑真和上の柔和な御影と共に記憶にありました。
井上靖著の「天平の甍」を読むようにと日本史の先生に言われていたのに読んでいませんでした。
そして御影堂の障壁画を私の崇拝する「東山魁夷」画伯がお描きになられて
京都高島屋ミュージアムで40年ぐらい前に公開されて拝見した時の感動もまた蘇ってきました。「明日行こう!」即決でした。
近鉄「西ノ京」で下車して徒歩9分初めての参内でした。
風格のある寺院でした。
6月なのに門前にはもう赤い萩の花が咲いていました。
境内にも萩の木がたくさん植えてあります。まだ開花する様子はありませんが
これもまた楽しみの一つになりそうです。
南大門を潜ると金堂が見えます。
天平建築の円い大柱はギリシャ建築にも通ずるところがあるそうです。
講堂の幔幕も風に吹かれて舞い上がり、多くの信心深い老若男女が中で僧侶たちの読経を聞いています。
御影堂です。
鑑真和上座像が御開帳になっておりましたが、大勢の人で近寄れませんでした。
今に伝わる最古の肖像彫刻です。生前に弟子たちの計らいで容姿だけでなく精神性をも写し取ったと言われています。いかに慕われ貴まれていたかが覗われます。
東山魁夷画伯が描いた障壁画、襖絵が公開されておりました。
天平の昔、12年の歳月をかけて渡来し唐招提寺を開いた唐の高僧鑑真和上にささげるすべてが描かれているように思えました。
40年近く前に拝見した時より少々色あせた感はありましたけれど…
天平の風がこの土壁にも吹いているようでした。